現在、Bリーグの盛り上がりや八村塁選手・渡邊雄太選手・河村勇輝選手といった日本人NBA選手の活躍で、これまで以上に注目を集めている日本のバスケットボール。しかし、この競技が日本にどのように伝わり、どのような紆余曲折を経て今の姿になったのかは、意外と知られていないかもしれません。今回は、伝来から現在のBリーグ誕生までの「日本バスケットボールの歴史」を、時代を追ってたどります。
伝来 ― YMCAが伝えた新しいスポーツ(1908年〜)
バスケットボールが日本に持ち込まれたのは1908年(明治41年)のこと。アメリカの国際YMCAトレーニングスクール(現・スプリングフィールド大学)で学んだ大森兵蔵が、東京YMCAで日本人に初めてこの競技を紹介したのが始まりとされています。当初は「籠球(ろうきゅう)」という訳語が当てられました。
大森は1913年に結核のため32歳で亡くなりますが、その後アメリカYMCA同盟から派遣されたF.H.ブラウンが来日し、関東・関西を中心に各地のYMCAでバスケットボール講習を行ったことで、国内での普及が本格化しました。同じ1913年には文部省が中学校の体育授業にバスケットボールを採用しており、学校体育を通じて競技が広がっていく土台がこの時期に作られています。
協会設立と国際舞台へ(1930年代)
競技の普及が進む中、1930年9月30日に「大日本バスケットボール協会」(現・公益財団法人日本バスケットボール協会/JBA)が設立されます。協会は1934年に国際オリンピック委員会(IOC)に、1935年には国際バスケットボール連盟(FIBA)に加盟し、国内競技団体としての体制を整えました。
その成果が表れたのが1936年のベルリンオリンピックです。この大会でバスケットボールが初めてオリンピック正式種目となり、日本代表もこれに初出場。予選リーグで中国とポーランドを破って勝ち進み、参加14ヶ国中9位という成績を残しました。伝来からわずか30年足らずで、日本のバスケットボールはすでに世界と戦うところまで来ていたのです。
戦後復興と実業団リーグの時代
戦後は学校体育や社会人チームを中心に競技人口が拡大し、企業がチームを持つ「実業団」スタイルが日本バスケットボール界の主流になっていきます。その象徴が1967年に発足した「全国実業団バスケットボールリーグ」、通称・日本リーグです。以降、日本のトップリーグはこの実業団モデルを土台に、2001年により事業性を高めた「スーパーリーグ」化など、名称や仕組みを変えながら発展していきました。
プロ化をめぐる模索とリーグの分裂
2000年代に入ると、日本バスケ界は大きな転換点を迎えます。2004年、新潟とさいたまが完全プロリーグの設立を発表し、2005年11月に「bjリーグ」が開幕。地域密着とエンターテイメント性を重視した、日本初の本格的なプロバスケットボールリーグでした。
一方、実業団側は2007年に企業チームとクラブチームが共存する新生「JBL(日本バスケットボールリーグ)」を発足させます。しかし企業側のプロ化への抵抗もあり完全プロ化には至らず、2012年にJBLは終了、「NBL(ナショナル・バスケットボール・リーグ)」へ移行しました。
2010年からJBA・bjリーグ・NBLの3者で統一リーグ発足に向けた協議が始まっていたものの、統合は難航。bjリーグとNBLという2つのトップリーグが並存する状態が長く続きます。この混乱に対し、2014年、国際バスケットボール連盟(FIBA)は日本バスケットボール協会に対し、日本代表チームの国際試合出場資格を停止するという異例の警告を通告しました。国内リーグの統一が国際的な信用問題にまで発展した、日本バスケ史上最大の危機のひとつです。
Bリーグ誕生 ― 統一トップリーグの実現(2016年)
FIBAからの資格停止という緊急事態を受け、日本バスケ界はようやく本気でリーグ統一に動き出します。改革を主導したのが、Jリーグ初代チェアマンとしても知られる川淵三郎氏でした。急ピッチで統合準備が進められた結果、2016年にbjリーグとNBLが統合し、男子プロバスケットボールの新しいトップリーグ「B.LEAGUE(Bリーグ)」が誕生します。
地域密着とエンターテイメント性を重視したbjリーグのDNAを受け継ぎつつ、実業団由来のチームも合流したBリーグは、以降、観客動員・放映・スポンサー収入のいずれも右肩上がりで成長を続け、今や日本のプロスポーツを代表するリーグのひとつに数えられるまでになりました。
世界へ羽ばたく日本人選手たち
リーグの発展と並行して、世界最高峰のNBAに挑む日本人選手も現れました。2004年、田臥勇太選手(フェニックス・サンズ)が日本人として初めてNBAのレギュラーシーズンに出場。その後しばらく間が空きますが、2010年代後半から状況は大きく動きます。2019年のNBAドラフトで八村塁選手がワシントン・ウィザーズから1巡目9位指名を受け、日本人選手として初のドラフト1巡目指名という快挙を達成。同時期には渡邊雄太選手もトロント・ラプターズでツーウェイ契約からNBA定着への道を切り開き、2019年12月には八村選手と渡邊選手によるNBA史上初の「日本人対決」も実現しました。以降、河村勇輝選手をはじめ、続く世代の日本人選手もNBAへの挑戦を続けています。
女子日本代表の歴史的快挙
男子だけでなく、女子日本代表の歩みも忘れてはなりません。2021年の東京オリンピックで、トム・ホーバス監督率いる女子日本代表は準決勝でフランスを破って決勝進出。決勝ではアメリカに敗れたものの、銀メダルを獲得しました。これは1976年モントリオール大会の5位を上回る歴代最高成績であると同時に、男女を通じて日本バスケットボール史上初のオリンピック表彰台という快挙でした。大会を通じて司令塔を務めた町田瑠唯選手はオリンピック新記録となるアシスト数を記録し、オールスター5にも選出されています。
まとめ ― 100年を超える歩みの先に
1908年に東京YMCAでひとつのスポーツとして紹介されてから、100年以上。日本のバスケットボールは、戦前の国際舞台進出、実業団リーグでの発展、リーグ分裂という危機、そしてBリーグ誕生による再出発を経て、今や男女日本代表・NBA選手の活躍を通じて世界に存在感を示すまでになりました。この歴史を知ったうえで試合を観たり、自分でボールを手に取ったりすると、バスケットボールの見え方が少し変わってくるのではないでしょうか。
参考:大森兵蔵(Wikipedia)、日本バスケットボール協会(Wikipedia)、バスケットボール男子日本代表(Wikipedia)、バスケットボール女子日本代表(Wikipedia)、日本バスケットボールリーグ/ナショナル・バスケットボール・リーグ(日本)(Wikipedia)、月刊バスケットボールWEB、笹川スポーツ財団、バスケットボールキング ほか各種資料をもとに作成
